2009年10月01日
豊富
2008.10.12(日)撮影
とよとみしがい=豊富町の戸口は明治3年に官設宿泊所がおかれ、同42年沙流村時代には、292戸1,297人、最高は昭和25年炭鉱全盛期で、2,097戸11,155人。昭和50年(1975年)は1,604戸7,533人。海岸から直線距離12㎞の内陸に市街地が形成されたのは、馬鈴薯・燕麦などがかってこの町の主産物であったように、純農村として発展してきたことを物語っている。乳牛が入ったのは凶作つづきのあとの昭和10年ころからである。
Posted by pon at 21:13│Comments(0)
│豊富町
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